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横浜地方裁判所 昭和57年(ワ)887号 判決

原告

塚田ヤエ

原告

塚田重昭

原告

塚田和子

原告

高梨枝里子

原告四名訴訟代理人

小泉万里夫

被告

菊地啓二

右訴訟代理人

鈴木繁次

主文

被告は原告塚田ヤエに対し金三二七八万八八五一円と、原告塚田重昭に対し金八七万円と、原告塚田和子に対し金二一五万円とこれらに対する昭和五六年五月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

右原告三名のその余の請求及び原告高梨枝里子の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告塚田ヤエと被告との間に生じた部分は、これを二分し、その一を被告のその余を同原告の各負担とし、原告塚田重昭と被告との間に生じた部分はこれを三分し、その一を被告の、その余を同原告の各負担とし、原告塚田和子と被告との間に生じた部分はこれを三分し、その二を被告の、その余を同原告の各負担とし、原告高梨枝里子と被告との間に生じた部分は同原告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故

訴外塚田一昭(以下単に一昭という。)は、昭和五六年五月二五日午前零時四八分ころ、藤沢市下土棚二〇九〇番地先県道三五号線上において、被告が運転する普通乗用自動車(相模五六ま九四八四)に衝突され、そのころ死亡した。

2  責任原因

被告は前項の自動車の所有者であり、当時酒に酔い正常な運転のできない状態で、前方に対する注視を欠いたまま右自動車を運転した。

3  身分関係

原告塚田ヤエは一昭の母であり、同人の唯一の相続人である。原告塚田重昭は一昭の弟、原告塚田和子は一昭の姉、原告高梨枝里子は一昭の妹である。

4  原告塚田ヤエの損害

(一) 一昭の逸失利益相続分 四四七二万二六二九円

一昭は、昭和二四年九月五日生れで、事故当時三一歳であつた。当時株式会社忠実屋に売場主任として勤務しており、給与のうち、本給は七万四五〇〇円、職能給は七万三四〇〇円、役職手当は五〇〇〇円、家族手当は九〇〇〇円、住宅手当は九〇〇〇円、超過勤務手当は直前五ケ月間平均額によれば一万四九九一円であつた。賞与は、本給、職能給、資格給及び役職手当の合計額に五を乗じた金額を夏(七月)と冬(一二月)に分けて受給していた。株式会社忠実屋の給与制度によれば、本給は、三一歳から三三歳に至るまでは一二〇〇円、その後三五歳に至るまでは毎年一〇〇〇円、その後五四歳に至るまでは毎年五〇〇円昇給することになつており、役職手当は、主任、係長、次長など役職別に最低五〇〇〇円の各定額が支給されることになつており、家族手当、住宅手当も定額が支給されることになつている。また職能給については、過去の実績から推して将来も毎年最低7.9パーセントの割合で昇給して行くはずである。

以上の事実をもとに六〇歳までの本給、家族手当(増額しないものとする。)、住宅手当(同上)、役職手当(同上)に対応する逸失利益を、中間利息の控除について年五分の割合による新ホフマン式を用いることとして計算すると、二九二六万二四三九円となる。同様にして、職能給のうち株式会社忠実屋の給与制度により昇給のとまる五五歳までの分を、期間を二三年として、中間利息の控除について、この場合は年五分の割合によるライプニッツ式に、先の昇給率年当7.98パーセントを計上して係数30.317154を得たうえ計算すると、三七八八万一二八三円となり、五五歳から六〇歳までの分は一四四〇万八八七三円となり、合計五二二九万〇一五六円となる。

次に超過勤務手当については、株式会社忠実屋の給与制度によれば、本給、職能給、役職手当等を基準とすべきものであるから、昭和五六年度に実施された8.41パーセントの従業員平均昇給率をこれにあてはめ、今後少なくとも一〇年間は右の増加率を維持するものとして、中間利息の控除につき、この場合は年五分の割合によるライプニッツ式により、係数11.043255を得たうえ計算すると一九八万六五九三円となる。

最後に、六〇歳の定年後六七歳までの分は、退職時の給与年額が八六五万九八〇〇円であるから、その七割を得ることができるものとして、中間利息の控除につき年五分の割合による新ホフマン式を用いることとして計算すると、一六〇三万五三一九円となる。

以上の合計は九九五七万四五〇七円となり、生活費としてその三割五分を減じ、自動車損害賠償責任保険金受領額二〇〇〇万〇八〇〇円を更に減ずると四四七二万二六二九円となる。

(二) 慰藉料 一〇〇〇万円

(三) 弁護士費用 五四七万二二六二円

以上合計 六〇一九万四八九一円〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば請求原因3の事実が認められる。

二次に一昭の逸失利益について判断する。

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1  一昭は昭和二四年九月五日生れの健康な男子であり、高校を卒業したあと印刷工をし、その後大東文化大学を卒業して一時信用金庫に勤めたが、流通業に興味を持ち、昭和五二年一月一六日流通業者である株式会社忠実屋に職を得た。死亡当時一昭は売場主任の地位にあつた。

2  株式会社忠実屋の給与制度は次のとおりである。

月例給与を基準内給与と基準外給与に分かち、基準内給与を更に、本給、職能給、資格給、諸手当に、基準外給与を更に、時間外勤務手当、宿日直手当、通勤手当、赴任等手当に分かつ。諸手当は、役職手当、家族手当、住宅手当、職務手当、調整手当を包含する。このうち本給は年齢に応じ、職能給は、最低一等級から最高一〇等級の間で、その格付された職能とその職能における勤務年数等に応じ、役職手当は主任、係長、次長、店長等の役職に応じて各支給される。時間外勤務手当は、一定の地位の者を除き、一定の場合を除き、月例基準内給与から家族手当を除いた金額に定数を乗じ、一日に実働七時間四五分を超えて就業した時間数に応じて支給される。定期昇給は本給と職能給について行われ、前者は毎年四月一日現在満年齢に基づき一ランク昇給し、職能給は人事考課に従い毎年四月一日に昇給する。近年の実績では、通常の勤務成績を残した者は職能給は二ランク昇給している。昇格は、昇格前の号に該当する金額より多額であり、かつこれに最も近い金額に応ずる号に充ててこれを行う。賞与は毎年七月と一二月に支給され、近年の実績では、月例の本給、職能給、資格給、役職手当の五ケ月分相当額が年二回に分けて支払われている。定年は六〇歳であり、男子については五五歳に達した時の給与額が六〇歳までの間固定し、昇給は行われない。

3  具体的な給与額を定める賃金表は、労使間協定により毎年改訂され、このようにして昭和五六年四月一日から実施された賃金改訂表は、次のとおりの内容を有する。

本給は三一歳から三三歳までは年当一二〇〇円、その後三五歳までは年当一〇〇〇円、その後五四歳に至るまで年当五〇〇円の昇給額とする。

職能給表中四等級は一号から、号数が一つ増える毎に二一〇〇円ずつ、五等級は二五〇〇円ずつ増額し、号数に制限はない。六等級は二二号に至るまでは一七〇〇円ずつ、二八号に至るまでは一六〇〇円ずつ、三四号に至るまでは一五〇〇円ずつ、四〇号に至るまでは一四〇〇円ずつ増額し、その後一号当りの増加額は漸次減じて八〇号まで定める。七等級以上についても一号から暫時二二〇〇円ないし四三〇〇円ずつ増額するが、号数が増えるに従い増加額は漸減し、七等級では二九号以降、八等級では六五号以降は一号毎の増加額が二一〇〇円より低額となる。九等級、一〇等級では一号毎の増加額が二一〇〇円を下まわることはない。そして五等級の一号俸の金額はちようど四等級の一二号と一三号の間に、六等級の一号俸の金額は五等級の二六号と二七号の間に、七等級の一号俸の金額は六等級の一八号と一九号の、八等級の一号俸の金額は七等級の一六号と一七号の、九等級の一号俸の金額は八等級の一五号と一六号の、一〇等級の一号俸の金額は九等級の二五号と二六号の各間に位置している。

役職手当は、対象となる地位に応じ異なるが、五〇〇〇円はその最も低額のものであり、主任等に対し支給される。

家族手当は家族一人の場合九〇〇〇円を支給され、第三人目までは増額される。住宅手当は、条件により九〇〇〇円と五〇〇〇円に分かれる。

以上の給与表は近年減額の方向に改訂されることはなかつた。

4  一昭の昭和五六年五月の給与は、本給七万四五〇〇円、職能給七万三四〇〇円(四等級三号俸)、役職手当五〇〇〇円、家族手当、住宅手当各九〇〇〇円であり、当時仕事の評価は良く、周囲の信頼も篤かつた。

以上の事実をもとに一昭の逸失利益を評価すると次のとおりである。

一昭は、勤務成績良好であり、株式会社忠実屋が近い将来解散してしまうなど、一昭が職を失うことを予測させる資料は見当らないから、同社において定年である六〇歳に至るまで、降格、降給などされることなく稼働し続け、定年後も、退職時の給与に近い収入を挙げるとは予測し難いものの、大学卒業者中同年齢の者の平均賃金と同額の収入は得ると推認しうる。そこで、本給については少なくとも、昭和五六年四月一日から実施された本給表に基づいて、年毎に昇給し、職能給も毎年少なくとも四二〇〇円ずつ昇給し、役職手当、家族手当、住宅手当は減額されることがないものと推定すべきである。

原告は超過勤務手当についても請求をしているが、株式会社忠実屋の将来における業務の忙閑は十分に予測し難く、また超過勤務が義務づけられているとも認められないから、これを評価することはできない。

原告はまた、職能給、超過勤務手当について、昭和五六単年度の昇給実績をもとに、これを将来に引き伸して同率の昇給を見込むべきだとするが、昭和五六年度に達成された給与表に基づいて昇給を予測する(定昇)のはともかく、給与表そのものの改訂による増収は、将来の労使間の協議にまち、業種をとりまく諸事情に大きく影響されることであるから、到底評価の基礎にはとり難い。

そこで、本給、家族手当、住宅手当、役職手当について、六〇歳までの分の事故時現価を求めると、別紙計算書のとおり、二五五四万四八一一円となり職能給について、六〇歳までの分の事故現価を求めると、別紙計算書のとおり、二九二七万六八九九円となり、その後一昭の稼働可能年齢と認める六七歳までの分を、昭和五五年度賃金センサスから、産業計、企業規模計、大学卒男子労働者のうち六〇歳を含む年齢帯の平均年収四七六万六九〇〇円を採つて、事故時現価にすると六七〇万〇八三一円となる。

計算上、中間利息の控除は、年五分の割合によるライプニッツ式により、公表された係数表中の一つの係数を使用するときは、小数点以下四位まで採つて五位以下を切捨て、二つの係数を重ねて使用するとき(共に到達しない将来の二時点間の得べかりし収入の現価を計算する場合)は、小数点以下八位までの係数間の計算の結果から四位までを採り、五位以下を切捨てることとし、円未満は切捨てることとした。

一昭の逸失利益はこのようにして六一五二万二五四一円と計算された。そしてこのうちから生活費として三割五分(原告塚田ヤエ本人尋問の結果によれば、一昭は未だ独身であつたが、長男として家計を支え、同居の原告塚田ヤエや、稼働能力のない原告塚田和子の生活が一昭の収入にかかり、同人もこれを弁えていたことが認められ、この事実を考慮すると右の割合が相当である。)を減ずると、三九九八万九六五一円となる。〈以下、省略〉

(曽我大三郎)

計算書〈省略〉

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